書き置き

考えていたことを思い出せるように

コンシューマー版でも愛情表現としてのHシーンが必要ではないか

初めてR18に分類されるゲーム(いわゆるエロゲ)をプレイしたのは今から3,4年程前であったが、こうしたゲームをプレイする際にどうしてもヒロインのHシーンを必要なものとして捉えられなかった。

 

私としては、そもそもエロゲを買う動機が「PC版でしか売っていない(コンシューマーに移植されていない)」というのが主なものであり、別にHシーンを見たいからではなかったので、そのようなシーンに差し掛かったときはEnterキーを連打したりスキップしていたりして、そのシーンをさっさと飛ばしていた。 

 

コンシューマー版であれば基本的にそうした年齢制限が入るシーンはカットされるので、エロゲよりもコンシューマー版を中心にプレイしていたが、いくつかの作品を繰り返しプレイするうちに何か違和感を感じるようになってきた。

 

自分の欲求が満たされているはずなのにどうして違和感を感じてしまうのか。なかなか原因がわからなかったが、ゲームが「主人公とヒロインが恋に落ちて愛を深める過程を描いたもの」を主眼としていると捉え考えたところ、その違和感は主人公とヒロインとの間での愛情表現が不足しているから来るものであり、コンシューマー版でも愛情表現としてのHシーンが必要であるという結論に至った。このことについて以下で述べていく。(ここでは性的欲求の解消としての性交については考えないこととする)

 

 

まず前提として、コンシューマー版では携帯型ゲーム機(PSP,PSVita等)に移植する関係上、R18の制限がかかるシーン(Hシーンや局部が露出しているシーン等)は基本的にカット、または絵が差し替えられている。(謎の湯気や光線が入る等)

そのためゲーム内で見ることのできる主人公とヒロインの間での愛情表現は、段階的に並べて手をつなぐ、頭など体の一部を撫でる、抱き合う、キスをする、というところまでになる。

 

ここで問題となるのが、愛情表現として最も強い行為が「キスをする」であることだ。

 確かにこの行為自体は愛情表現としてある程度強いものであるが、「主人公とヒロインが恋に落ちて愛を深める過程を描いたもの」の中で最も強い愛情表現だと考えると、キスをする程度まで愛を深めて終わり、となりいささか不十分であると思う。

なぜなら愛情表現には先程述べたものの他に、互いの性器に触れるような愛撫や性交等が存在し、私個人としては、これらはキスをする行為よりもより強い愛情表現であり、特に性交は愛情表現として最も強いものであると思っているからである。(エロゲにおけるHシーンについても愛情表現であると捉えると、場面にもよるが別段不必要なものではないと思うようになったが関係ないのでここでは触れないことにする)

 

こんなことを言うと、「ゲーム内で出てこないだけでおそらく性交まで至っているだろう」「PC版では実際に性交するシーンがあるだろう」という反論が予想されるが、ここで問題提起しているのはコンシューマー版に限った話であってPC版の内容は関係無く、また主人公とヒロインが結ばれる過程がこと細かくストーリーとして組まれていて出会いや告白等の2人の関係性の変化が漏れなく描かれており、私たちはそれを観察していることを考えると、表示される文章やシーンが主人公とヒロインの間で起きたことの全てであり、表示されないものは起こっていないものであると捉えることができる。

そのため、いくら自分で補って想像しようとも、ゲーム内で「出てこない」ものは主人公とヒロインとの間で「起きていない」ものであると考えることができる。

 

このことを踏まえると、コンシューマー版において主人公とヒロインは互いの愛情をキスで表現した状態で終わりということになるが、これではまだ不十分で、愛を深めるという点において中途半端な幕切れであると思う。

キスまでではなく、性交する場面もゲーム内で出すことで、主人公とヒロインが究極的に愛を深めたことを表せていることになり、主眼である「主人公とヒロインが恋に落ちて愛を深める過程」のうち「愛を深める過程」まで不足なく表現できていることになる。

 

よって主人公とヒロインの最終的な愛情表現である性交場面としてHシーンを出すことで、主人公とヒロインが恋愛感情の行く着く先として愛を深める過程を完全に表すことができ、2人の間で十分な愛情表現が行われていることになる。

この実現として、コンシューマー版においても愛情表現としてのHシーンが必要ではないかと思う。

 

ただ現実として、性行為は必然的に性的興奮を伴うものであり、どうしても年齢制限をかける必要があるため実現するのは難しく、愛情表現と解釈できるHシーンが見たいならばPC版を買うしか手段はないだろう……